自閉症児のいる暮らし -12ページ目
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オーダーメードの人生

障害の程度はどうであれ、「障害児の親」という立場
で悩まない親はいない。健常児に近ければ近い程、親
も子も辛いだろう。障害が複合で、難病だったり、世
界に数人しかいないような障害児であったとしても、
しょうがないからと諦めたり、ふっきれたりはしない
だろう。


「わが子の障害」に対峙した時、生身の人間としての
ライフワークが問われることになり、そこから問題が
おこる。


中には、「子どもの障害があったからこそ、人生を
真剣に考えられた。本当の人生を楽しめた。子どもと
障害に感謝している」と本気で言える、素晴らしい親
に成長する人もいる。困難すら味わい、人生を豊かに
過ごす事の出来る余裕を感じさせてくれる。


が、新聞をにぎわす、虐待、子殺し、母子心中などの
あまり表沙汰にならない事件の裏には、育てにくい障
害児と悩む親の関係が多いことは知られていない。
世の中を悲観し、行き場のない絶望が悲劇を生む。


障害児をかかえ、悩む親へのアドバイスは、たいてい、
子どもを施設や病院に入れる事で解決される。少し、
距離を置き、専門職員や医者を間に入れ、親子が冷静
になることで、解決の糸口がつかめるのだ。ゆとりの
出来た親が、子どもから解放され、その出来た時間を
どう子どもに還元していけるかが、それからの課題と
なる。


支援を受けながら善い親子関係に変わっていくことが
福祉の基本だ。親がいるのに、親に替わって障害児を
育て、面倒をみることが福祉ではない。最近は脱施設
地域で生きると盛んに言われはじめているが、下手を
すると福祉の切り捨てになってしまう。まだまだ施設
は現実必要だ。

さて、障害児の親にもいろいろあって、障害に感謝す
る人生もあれば、施設を利用して障害児と距離を置き
ながら過ごす人生もある。障害児をかかえ、毎日生き
るの死ぬのの修羅場人生もある。中には、病院や施設
に入れっぱなしで、面会にもいかないし、子どもに内
緒で引っ越して、子を捨ててしまう親もいる。子ども
の数だけ親の人生がある。


私がいう「親の立場」は、障害児と共に毎日修羅場を
生きる親の事だ。それは、母親であれ、父親であれ、
共同生活者なので、逃げ場がない。書店にいっては、
障害児関係の本を買い求め、読みあさり、どうして自
分はこうも悩むのだろう、子どもの障害を認めていな
いのではないか、子どもを愛していないのではないか
と自問自答し、責め苛まれる、親の慟哭だ。


遠い地方の友人から電話があった。同じマンションに
住むとある夫婦の3人きょうだいの長男が障害児らし
い。引っ越した先々に障害児がいるので、友人は興味
を持ったのだろう。友人はマスコミの美談話しか知ら
ない。ところが近所の夫婦は障害を持つ長男をまった
く面倒みないばかりか、はやく死んでくれとばかりに
ほったらかしにしているのだと言う。


「どうすればいい?」と電話で聞かれた。
信号や交通ルールが理解できるような子ではないので、
いずれ自動車に轢かれてしまうだろうというのが、友
人の相談だった。私のところでななく、児童相談所に
連絡すべきなのだが。。と伝えると、児童相談所には
連絡がいっているが、親が無視しているらしい。
その子を轢いてしまったら、自動車側の方が災難だな、
と不謹慎にも私は思った。その後友人はまた転勤して
その土地を移ってしまったので、その後はどうなった
かわからない。どこかで保護されているだろうと思う。

その夫婦は障害児さえいなければ、幸せな家族であっ
たのだろう。

修羅場の毎日を過ごす障害児の親は、どうなのだろう。
「この子さえいなければ」
と思うのだろうか。

愛の反対の言葉は憎しみではなく、無関心だ。
きっと、わが子の障害で悩み、苦しむ親は、自分の苦し
みだとは思っていない。親は子どもだけに障害を押し付
け、自分だけは逃げられる立場にいるのだ。いざとなれ
ば自分だけは障害者ではないのだから。障害児をかかえ
て苦悩する親は、障害ごとわが子を受け入れる。よく、
子どもが苦しい立場になった時、親は自分が替わってや
りたいという表現をするが、かわりに子どもと障害を共
有するのだ。

親はどんな子どもであっても、その他人とは違う欠落し
た部分をなんとか埋めてやりたいと願う。生きていくに
は、あまりにも不都合な現状を変えたいと模索する。
が、現実はあまりに冷たく、不条理だ。


泣き崩れてわが子の不運を嘆き悲しむ親に出会うたび、
感じる事は、「この親は人生から逃げていない」という
手応えだ。「子どもには子どもの人生がある。子ども
次第だ」という子どもの自主性を尊重するという言い訳
で、逃げてしまう小賢しさがない。子どもの為になんと
かしてやりたいという気迫と覚悟を感じる。

人間は誰でも人それぞれの十字架を負って生きていく。
そんなものいらないと、投げ出す事はできないが、自分
をごまかし、見ないふりはできる。そして、自分のイメ
ージを拠り所に、「自分探し」に忙しい。

「本当の自分」を認める勇気は、修羅場をかいくぐった
実力から湧いてくる。
現実の中で、親子ともに逞しく、強くなって、いつのま
にか子を守る「親の立場」は不動のものになる。親が、
「親の立場」にあるとき、子どもは安定する。


自分の人生の醍醐味を他人は味わう事はできない。
世の中、見渡して見ると、「美味しいとこだけどり」の
人生のいかに多いことか。得をしているようで、ちっと
も豊かにならない人は、自分の人生から逃げているか、
思考停止しているかだ。「この子の障害さえなかったら
こんな人生ではなかった」と。

みっともなくても、しょうがない。障害児がいる日常は
綺麗事ではすまないのだから。
無理して「障害」に感謝しなくてもいい。
障害児は天使だと、美化する必要もない。
頑張って、善い親子にならなくてもいい。



他人と比較するから、苦しくなる。

この世には、ただ、人間達がいるだけだ。
存在する人間の数だけ人生があるなら、たとえ失敗とい
われても、人生を成就することに意味があるのだ。




重度障害児の母の本音

本音、ちらほら。


A「何で、TVに出てくる障害児も親もあんなに綺麗
  にしていられるわけ?現実に障害児育ててて、あ
  んな、綺麗にしてられるわけないでしょう!!
  日常生活、きちんと過ごすだけで精一杯だわ。」

B「Aあなた、少しは身綺麗にしなよ。いつも同じか
  っこうしてんじゃないの。たまには、スカートと
  か、パンプスとかはいてみたら。」  

A「Bんとこの子は一人で学校いけるし、あんまりて
  まかからないじゃない。うちは、ともかく手間か
  かるの。たまにはなんてスーツにハイヒールはい
  て出かけた時もあるのよ。でも、うちの子は手を
  ふりほどいて急に駆け出しちゃって、大通りにつ
  っこんで行きそうになったんで、靴ぬいで、裸足
  で走ってつかまえたのよ。どこのドラマ撮影よ!
  もう、あんなの御免だわ。
    
  それより、腰まであった長い髪なんできっちゃっ
  たの?C」

C「あ~、病気してから洗うのが面倒になった。。。」

A「あんた、最近なんでも面倒になってるよ。」

B「役員も全部やめちゃったわよね。」

C「なんというか、こう最近虚しい。」

B「鬱じゃないの?」

A「更年期障害じゃないの?」

C「息子は障害児で、母は更年期障害ですか。。。鬱に
  もなるよ。最近不眠症で、病院でハルシオンもらっ
  て、飲んでるの。神経科通いのお母さん達多いよね」

A「多くもなるよ、障害児ひとりにかまってられないし
  他の兄弟もまだまだ手間かかるし、旦那はリストラ
  他人事ではないし。」

C「あ、そういえば、うちの旦那の会社3月で無くなる
  んだわ。」

B「大丈夫なの?」

C「4月から新しい会社にいくことになってる。仕事の
  業種も内容も同じだから大丈夫みたい。どうなるか
  わかんないけど。Aんとこみたいな一流企業じゃな
  いから潰しがきくみたい」

B「今はどこも大変よ。
  最近よく自閉症がマスコミにとりあげられるけれど、
  自閉症って、天才児が多いんでしょう?
  うちのこは単純精薄だけど。」

C「Aの子はスイミングで大会にもでるし、ピアノも弾
  けるもんね。お稽古事をしてる自閉症児ってかなり
  いるけど、天才児の確率は健常の子と同じだよ。
  自閉症児って『カメラアイ』の子が多いらしいから
  かなり記憶力がいいんだけど、それが、とんでもな
  く異常なこだわりの原因になるから、親としてはそ
  んなものない方が絶対いい」

B「カレンダー何千年も記憶してるとか、一度聴いた音
  楽をすぐ弾けるとか、一度見た風景を写真みたいに
  絵にできるとか、凄いわよね」

C「あ~、人間せいぜい100年しか生きないと思うよ。
  音感いい子なら誰でもそのくらいできるし。バンド
  やってる連中はたいてい耳コピだしね。

  プロの音楽家や絵描きになれる才能ならいいけど、
  プロになれないならただの趣味だし。ただの趣味な
  ら健常児だって、そのくらいできる。自閉症に天才
  児が多いというより、自閉症でも天才児がいるとい
  う感じじゃないの。才能のある自閉症児は確かにい
  るから」

A「駄目だ。Cはやっぱり更年期障害だ。」

C「前に天才教育で名高いしちたちゃいるどあかでみー
  にいかしてて、碁盤の目に置いた点を1秒見せて、
  点をはがして碁盤のどこに点があったか子どもに
  当てさせるの。それが、ほとんど正解なんだわ」

B「カメラアイね」

C「その近所のビルの1階がおもちゃ屋で、おもしゃの
  ディスプレイが変わるたび、うちの子おもちゃ屋の
  中に入って、店の商品勝手に移動して、前回と全く
  同じようにディスプレイなおしちゃうんだわ。前回
  見たのと同じように変えないとパニック起こすの。
  その店の前は走って通り抜けるんだけど、一瞬見る
  だけで覚えちゃうから後が大変。結局そこやめたわ」

A「うちの子、自閉的傾向だけで、自閉症じゃなくてよ
  かった。。。」

C「おい。。。」

B「。。。」

最重度自閉症

最重度自閉症という判定はない。
知的障害の最重度判定になる。

さて、最重度自閉症とはなんでしょうか?


いわゆる、知能測定値で別けられています。


  軽度 50-55~70
  中度 35-40~50-55
  重度 20-25~35-40
  最重度 20-25以下

最重度の場合、知能測定は判定不可能が多い。


昭和48年から交付されている療育手帳は、手帳は重度
の方からA1、A2、B1、B2に区分されています。

「A1」 各種診断の結果、知的障害者の程度が処遇上
「最重度」と判定され、またプロフィールがおおむね
「A1」程度に該当するもの、知能測定値が35以下で
合併障害として身体障害者福祉法に基づく障害の程度が
1級又は2級に該当するものであって、日常生活におい
て常時介護を必要とするもの。


重度
「A2」 各種診断の結果、知的障害の程度が処遇上
「重度」と判断され、またプロフィールがおおむね
「A2」程度に該当するもの、知能測定値が50以下で
合併障害として身体障害者福祉法に基づく障害の程度が
1級、2級又は3級に該当するものであって、日常生活
において常時介護を必要とするもの。


中度
「B1」 各種診断の結果、知的障害者の程度が処遇上
「中度」と判定され、またプロフィールがおおむね
「B1」程度に該当するもの。


軽度
「B2」 各種診断の結果、知的障害者の程度が処遇上
「軽度」と判定され、またプロフィールがおおむね
「B2」程度に該当するもの。



自閉症は、高機能自閉症、中機能自閉症、低機能自
閉症に分類されます。

高機能自閉症
 ・ボーダー以上の軽度精神発達遅滞
 ・普通教育可能なレベルの学力
 ・日常会話は普通にできる 
    
中機能自閉症
 ・中度精神発達遅滞を伴う
 ・単語と簡単なやり取りの言語
 ・日常生活に差し支えない程度に理解
 ・社会的に認知の障害

低機能自閉症
 ・重度精神発達遅滞を伴う
 ・言語交流の不能
 ・社会生活が機能しない
 ・強度行動障害 


最重度の発達遅滞で低機能自閉症の者を最重度自閉症
といっていいでしょう。なんだか、文章にしてしまう
と、それだけで教育不可能のような印象がありますが、
ちゃんと教育は出来ますし、成長します。
絶望することはないです。

今は、自閉症に関しては、一生かかっても読み切れな
いぐらいの、膨大な文献があります。自閉症の勉強な
んかはじめたら、子育てする暇なんかないくらいです。
(^^)


たまに、自閉症協会のホームページを見にいきますし、
研究発表された論文なんかも読みますが、皆、凄いな
あ、偉いな、頑張って、なんて真面目なんだろうと感
心します。個人のホームページで、お子さんの写真や、
記録などアップして、療育のアドバイスもされている
ので、とても参考になります。凄いなあとやはり感心
します。


そんなホームページと間違って、このやる気のない
blogに、うっかり来てしまう人がいませんよう、祈る
ばかりです。もし、来てしまわれたら、「すいません」
と言うしかありませんから。


では、やる気なく続けます。

最重度の子は、なにが大変かというと、療育がなかな
か身につかないことでしょう。記憶が3秒と続かず、
言葉もわからず、行動障害だけに振り回されて、毎日
が慌ただしくすぎていきます。モノを覚えないという
ことは、教える事が出来ないということです。この状
態のままだと野生の猿と変わらないので、「人間」に
しなければなりません。


今の時代は、知恵おくれでなくても、教育が出来ず、
成人式に暴れるような野生の猿もいますが、知恵おく
れの子の場合は、これではいけないという危機感を親
がもつので、たいていはきちんと教育されます。
放っておいたら人間にならないと実感するからです。


最重度自閉症だからといって、他の軽度、中度と比べ
て大変かというとそうでもない、と皆さん、おっしゃ
いますが、それは嘘です。軽度中度に比べたら、はる
かに教育しにくいです。

障害は皆同じではありません。軽度、中度の親は、こ
のへんが理解しにくいです。同じ事を教えるのにも、
子どもの発達段階にあわせ、もし、その段階でないな
ら、遡って、理解出来るとことから教えなければなり
ません。

物に名前があることがわからないのに、
「りんごとって」「みかんはどっち?」とは、言って
も無駄です。これは、りんごです。あっちもりんごで
す。この絵もこの写真もりんごです。りんごは食べら
れます。りんごは赤いです、っと言っても概念として
「りんご」が解らなければ、やり取りも出来ないから
です。「りんご」と言われて、りんごが解る子だけが、
りんごをとることができます。軽度、中度の子を持つ
親は、いきなり「りんご」という共通のやり取りがで
きるのです。
最重度の子には、りんごの概念を教えるところまで、
さかのぼります。


鉛筆を持って字を書く。まず、えんぴつが何なのか解
りません。書くとはどういうことか、解りません。
字って何でしょうか。鉛筆を持つことができません。
感覚統合から始めます。えんぴつをにぎります。
数秒で落としてしまいます。鉛筆を持つことがで来ま
せん。握力をつけなければなりません。
手を握って、開いてが出来ません。そのうち何をやら
されているか解らず不安になり、パニックで大騒動です。
興奮が続いて食事もできません。鉛筆を持たされたので、
スプーンも、持ちたくありません。ちゃぶ台返しです。
延々悪循環です。


座ることのできる子、鉛筆の持てる子だけが、字を教え
てもらえます。


全てにおいて、こんなかんじです。
最重度と、軽度、中度には、やはり差があります。

まあ、最重度障害だろうが、健常だろうが、教育がはい
らなければ、猿という状態で大差ないんで、そういう意
味では、同じですが。

最重度、親にとっては、「チャレンジすべき高い山」で
あることは間違いありません。

苦悩

私はどうして自閉症児の親になってしまったのだろう?
何故、仕事をやめなければならなかったのだろう?
自閉症児にかかる膨大な時間は、全て子どもを守る為に
費やされた。

親子揃って、生きている事が奇跡という人生。
最重度の自閉症児を持つ親なら生き地獄をのたうちまわる。
いっそ死んでしまえたらどんなに楽だろうと考える。
誰にも理解できないだろう孤独に感情すら麻痺してしまう。
何も感じず、何も見えず、何も聞こえない事を願う。


友人から電話がきた。
1月末に放映された自閉症児の番組の感想だった。
とうに成人した自閉症者を子に持つ友人は言う。
「昔と違って、今は新しい療育法や訓練法が沢山あるのに、
 やっている事は私達の頃と全く同じだ。あのTVに出てい
 た親達と同じ事を私もやっていた。」と。


そうなのだ。時代は変わっても、自閉症は変わらない。
そして、親の苦悩も変わる事はない。


私はその番組を見ていない。TVタックルを見終わってから
見ようと思っていたのだが、いつもの習慣で風呂に入ってし
まい、出た頃は終わっていた。すっかり忘れていたのだ。ど
んなに素晴らしい自閉症関係の番組でも、どんなに素晴らし
い学者の講演会でも、画期的な勉強会でも、全く興味がなく
なってしまった。

何故なら、他人の話を聞いても、我が子 には、なんの応用
も出来ないからである。

どうしてか?


今、自閉症というと、
高機能自閉症、アスペルガ-症候群、 ADHDなどの、軽
度発達障害者が中心になっているからだ。 「知的な遅れが
ない障害」というが、知的に遅れているから 問題になって
いるのだろう。情緒を安定させるのは知性だか らだ。知的
に遅れがないなら、障害の分類は「精神障害」だ。 昔の自
閉症は「小児精神病」と呼ばれていた。支援がいままでな
かったのだから、今回の特別支援教育は大きな成果だろう。


ただ、現在の知的障害者の6倍以上といわれる軽度発達障害
児が、どんどん、知的障害者の領域に入り込んでいるのは、
かなり問題があると思う。例えば、入所施設は支援費制度に
移行するかたちで、措置から契約になり、最重度障害者を断
わる事もできるようになった。就労にいたっては、本当の障
害者はもうほとんど採用されない。採用されるのは、軽度発
達障害者である。就職のために、最近障害者認定をしてもら
った、なりたてほやほやのにわか障害者だ。採用する企業に
してみたら、できるだけ条件のいい人を採用したいのだから
無理はない。それに軽度発達障害者もいくところがないのだ。
何処でもいいから就労できるところを探すのだろう。当然の事だ。



最重度障害児の親達には共通の危惧がある。
「うちの子がいくところはあるだろうか?」
自分で生きていけず、他人の全面介助支援を受けなければ、
生存できないこの子を受け入れてくれるところはあるのだろ
か?と。親は先に死んでいくのだ。


「親が死ぬ時にはみちづれにする。子どもをいっしょに殺す」
と、最重度障害児の親は声を揃えて言う。ひとりやふたりの
話ではないのだ。


「親がいなくても生きていけるように育てなさい」

と、学者も療育者も言う。 それができれば障害児ではない。
親は最重度と知りつつも、なんとかしてよりよい人生を与えた
いと思い、1年間に何百万円もの療育費を払い、あちこちかけ
ずりまわる。どんなに頑張っても、頑張っても、克服出来ない
現実に初めて対峙し、あらんかぎりの努力すら叶わない事を知
る。こうして苦悩がはじまる。


「障害を克服して。。。」 という言葉を、マスコミではよく聞く。
克服出来るなら障害ではない。
ある自閉症児は言った。
「障害を克服するのは僕が死んだ時です」と。


さて、見なかった番組は友人によると
「障害をもっていても不幸ではない」 というテーマがあったらしい。

ヘレン=ケラ-も不便だが不幸ではないといっていたし。

なんだかよくわからないテーマだ。 いかにもマスコミ的だ。
幸福とか不幸とかは、主観の問題だか ら、決めつけるなというだろうが。
幸福も不幸もコインの表裏なので、幸福や不幸の状態が、
どっちかだけだと考える方が思考停止だと思う。

私自身は障害児を持ったのは運が悪かったと単純に思う。
出来 れば健常児の方が楽だったと思う。これは、男の子が欲しかっ
たのに、女の子だったというのと同じぐらいだ。好みの問題は
複雑なのだ。

幸福な障害児もいれば、不幸な健常児もいるから、
比較出来ないだろう。昔と違って、今の世の中は障害児だろう
が健常児だろうが、子育ては大変だ。



おそらく、障害児を不幸だと思いこみたい差別主義者が、
ごくわずかにいるのかもしれない。他でもない私自身もその差
別主義者かもしれない。


が、不幸を知る人間しか、幸福を知る事はない。 

自閉症児の環境

しばらく書けなくてすいません。
見に来て下さった方、どうもありがとうございました。

今日は昔の情報からいってみます。

http://www2.asahi.com/2004senkyo/localnews/TKY200406290277.html

引用開始

参院選トップ
増える軽度発達障害の子ども <この6年、選ぶ6年(4)>

 県西部の小学校の入学式。真新しい服を着た新1年生や保護者、来賓ら約200人が静粛な雰囲気で式典を進めていた。  「くたびれたー」「聞きたくなーい」。ある男児が体育館に響き渡る大きな声で叫び出した。その後も、後ろを向いたり周囲の児童を指でつついたり。先生が横に張り付くと、その手にがぶりとかみついた。

 同じ学級に落ち着きのない男児がもう1人いた。授業中に1人が騒ぐともう1人が呼応。2人で教室を飛び出し、学校中を歩き回る。高さ約1.5メートルのげた箱の上で一緒に騒いだこともあった。  落ち着きがなく集団になじめない。特定の学力が極端に低い。こうした子どもたちが教育現場で目立ち始めている。  知的発達に遅れがあるわけではないが、「話す」「書く」「読む」など学習能力の一部が欠けるLD(学習障害)。

状況によって集中力が持続しなかったり集団行動ができなかったりするADHD(注意欠陥・多動性障害)。コミュニケーション能力が低いなどの高機能自閉症。これらの軽度発達障害が原因だと考えられている。

 周囲の無理解から、不登校や非行、保護者による虐待などを引き起こす「2次障害」のケースも報告されている。

 なぜ、こうした子どもが増えるのか。静岡大学教育学部の大塚玲教授(発達障害学)は、テレビやゲームの普及、屋外で遊べる場所の減少、環境物質の遺伝子への影響などを挙げながらも、「こうした要因というよりも、現代の環境が、その要素を持った子どもの特徴を引き出しやすくしている」とみている。  文部科学省は02年2月、初めて実態を調査。全国5地域の公立小中学校の約4万1500人(対象地域の全児童生徒数の2.5%)について学級担任らから聞いた。  

学習面や行動面で著しい困難を持っている子どもは6.3%いた。県では2.39%と全国の結果より低いものの、40人に1人弱と1学級当たり1人はいる計算だ。  別の数字もある。県内の公立小中学校の養護学級に通う子どもは03年度で2148人。

このうち情緒障害は349人で、94年度の199人に比べると1.75倍になった。全国では2倍に増えている。県教委は「軽度発達障害と思われる子どもが養護学級に回っているのではないか」とみる。

 文科省は昨年3月、「特別支援教育の在り方について」と題する報告をまとめた。従来の特殊教育から特別支援教育への転換を打ち出す内容で、軽度発達障害の子どもへの対応が盛り込まれたのが特徴だ。  養護学級や通級指導教室ではなく、通常の学級に在籍して必要な時だけ「特別支援教室」に通う形にすることや、盲・ろう・養護学校にセンター的機能を持たせ、地域における障害のある子どもを積極的に支援する、などの提言が並ぶ。  同省は数年内に実現させる考えだが、大塚教授は「特別支援教室を作った場合、教員配置はどうするのか。

財政的な措置が何も決まっていない。ともすれば学校現場にいっそうの負担を押しつけることになる。医療機関や地域などとの協力も必要だ」と指摘している。  (06/29)

引用終了

周囲の無理解からかどうかはしらないが、親や教育者が、障害を無視したがり、2次障害 をつけてしまうことはよくある。

自閉症児にとって、この2次障害程、手におえないものはないだろう。2次障害がでる頃は、子どもも成長していて、自傷や多害を押さえようとしても、手後れの場合が多い。 不登校や非行、保護者による虐待などを引き起こす「2次障害」のケースは、親だけではもう対応しきれない。

臨床例は充分あるはずなのだから、はやいところ具体案をだすべきだろう。 親、教師は、まず、子どもの精神状態を安定させるにはどうしたらいいか、から、考えるといい。

脳がヒートアップしていては、教育は入らない。まず、学べるようになるための環境つくりからだ。 それには、最初に自閉症児にかかわる教師が自閉症という障害を理解することからはじめなければならない。

こんな事件がおきてしまったのは、子どものせいでもなく、教師のせいでもない。

環境が整っていなかっただけだ。

http://mytown.asahi.com/tama/news02.asp?kiji=3875

引用開始

自閉症の児童校舎から転落か、大けが小金井  

小金井市内の市立小学校で昨年11月、知的障害学級に通う男子児童(8)が、校内であごに大けがを負った。市教委などによると、この児童は自閉症で、校舎2階の体育館倉庫に入ったところ、入らないよう注意した担任の男性教諭(28)が扉を閉めたという。

倉庫の窓から5メートル下に転落した可能性が高く、警視庁小金井署が業務上過失傷害の疑いで教諭らから事情を聴いている。 市教委などによると、11月26日午前9時半ごろ、体育館で教諭が授業の準備をしていたところ、児童が倉庫に入った。注意したがまた入ったことから、教諭は児童をしかり、児童が中に入った状態のまま倉庫の扉を閉めた。教諭が扉を開けたときには児童の姿はなかったという。

 その後、児童が泣きながら事務室に入ってきた。保健室で手当てをした後、病院で治療を受けたが、あごに全治1カ月の大けがをしていたほか、奥歯が5本が欠けたり割れたりしたという。 児童は現在、学校には通っていない。 市教委は「事実関係を確認中だが、児童に対し、扉を閉めるなどの指導をしたとしたら不適切なことだ」としている。 (2/2)

引用終了

ごく普通の健常児であったら、まず、このようなことにはならない。扉を閉めるなどの指導もありだろう。

これは、いわゆる自閉症児のパニックだ。親と教師の連係が取れていなかったのかもしれない。教師ひとりに罪を負わせては、ますます自閉症児の評判が悪くなってしまう。教師が不注意であったのは事実なので、ここでは追求しない。

成人した自閉症者のパニックが、他者を巻き込んで犯罪行為に近くなる場合もあるので、 学生で、まだ、学ぶ環境が整っているうちに、パニック対応を教えておくべきだろう。 本人も周囲の人々も、学ぶことは多い。

睡眠障害

「世界で日本の子供ほど夜更かししている国はない」




神山潤氏の言葉だ。
「子どもの早起きをすすめる会」より


最近のニュースでも夜更かしが原因で、午後からしか授業にでてこられない学生達がとりあげられていた。10代の学生達にとって、睡眠不足は学力低下の原因だ。別に、授業にでてこれないから、学力低下になるわけではないが。




問題点は親にある。
1こどものリズム(秩序)の必要性が解らない。
2睡眠に関する知識がない。






一時期、自閉症児に効果があるといわれたセロトニンだが、睡眠不足による、脳内のセロトニン活性化との関連が指摘されている。セロトニン低下は、攻撃性が高まったり、キレるなど問題行動を生みやすいというのだ。




成人した自閉症者に共通の肥満の問題だが、これも睡眠と関係あるようだ。 薬科大学の研究によると、3歳の時に11時以降に寝ていた子は9時前に寝ていた子より、小4年のときに1・5倍肥満になるという研究結果も出ている。



だから、どうしたという話でもあるが、言いたい事は、こどもにとって睡眠は大事だという事だ。


。。。が、親にとっても大事なのだ。



自閉症児をもつ親にとって、睡眠障害は難攻不落の砦である。


「寝ない」


ただ、これだけのことが、親を寝不足にさせ、親の勤労意欲を低下させ、親を心身症にする。自閉症児本人は寝なくてもなんともないが、それにつき合わされる方はたまったものではない。放っといて、先に寝ようものなら、台所はマヨネーズ、味噌、ケチャップ、ワサビ、辛子等でペインティングされ、風呂場はシャンプーで泡だらけ、ベランダに出ては 吠えまくるという暴挙にでるのは必然。断固阻止せねばならぬ。



毎日、毎日、毎日、睡眠障害と戦うのだ。
決して、決して、決して、諦めない。

何年かたつと、こどもの身体がリズムを覚えていく。 夜9時に寝て、朝6時に起きる。これが続くようになればしめたもの。 親子揃ってゆっくり眠れる幸福感。 なんでもないことが、幸せに変わる瞬間だ。
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