苦悩 | 自閉症児のいる暮らし

苦悩

私はどうして自閉症児の親になってしまったのだろう?
何故、仕事をやめなければならなかったのだろう?
自閉症児にかかる膨大な時間は、全て子どもを守る為に
費やされた。

親子揃って、生きている事が奇跡という人生。
最重度の自閉症児を持つ親なら生き地獄をのたうちまわる。
いっそ死んでしまえたらどんなに楽だろうと考える。
誰にも理解できないだろう孤独に感情すら麻痺してしまう。
何も感じず、何も見えず、何も聞こえない事を願う。


友人から電話がきた。
1月末に放映された自閉症児の番組の感想だった。
とうに成人した自閉症者を子に持つ友人は言う。
「昔と違って、今は新しい療育法や訓練法が沢山あるのに、
 やっている事は私達の頃と全く同じだ。あのTVに出てい
 た親達と同じ事を私もやっていた。」と。


そうなのだ。時代は変わっても、自閉症は変わらない。
そして、親の苦悩も変わる事はない。


私はその番組を見ていない。TVタックルを見終わってから
見ようと思っていたのだが、いつもの習慣で風呂に入ってし
まい、出た頃は終わっていた。すっかり忘れていたのだ。ど
んなに素晴らしい自閉症関係の番組でも、どんなに素晴らし
い学者の講演会でも、画期的な勉強会でも、全く興味がなく
なってしまった。

何故なら、他人の話を聞いても、我が子 には、なんの応用
も出来ないからである。

どうしてか?


今、自閉症というと、
高機能自閉症、アスペルガ-症候群、 ADHDなどの、軽
度発達障害者が中心になっているからだ。 「知的な遅れが
ない障害」というが、知的に遅れているから 問題になって
いるのだろう。情緒を安定させるのは知性だか らだ。知的
に遅れがないなら、障害の分類は「精神障害」だ。 昔の自
閉症は「小児精神病」と呼ばれていた。支援がいままでな
かったのだから、今回の特別支援教育は大きな成果だろう。


ただ、現在の知的障害者の6倍以上といわれる軽度発達障害
児が、どんどん、知的障害者の領域に入り込んでいるのは、
かなり問題があると思う。例えば、入所施設は支援費制度に
移行するかたちで、措置から契約になり、最重度障害者を断
わる事もできるようになった。就労にいたっては、本当の障
害者はもうほとんど採用されない。採用されるのは、軽度発
達障害者である。就職のために、最近障害者認定をしてもら
った、なりたてほやほやのにわか障害者だ。採用する企業に
してみたら、できるだけ条件のいい人を採用したいのだから
無理はない。それに軽度発達障害者もいくところがないのだ。
何処でもいいから就労できるところを探すのだろう。当然の事だ。



最重度障害児の親達には共通の危惧がある。
「うちの子がいくところはあるだろうか?」
自分で生きていけず、他人の全面介助支援を受けなければ、
生存できないこの子を受け入れてくれるところはあるのだろ
か?と。親は先に死んでいくのだ。


「親が死ぬ時にはみちづれにする。子どもをいっしょに殺す」
と、最重度障害児の親は声を揃えて言う。ひとりやふたりの
話ではないのだ。


「親がいなくても生きていけるように育てなさい」

と、学者も療育者も言う。 それができれば障害児ではない。
親は最重度と知りつつも、なんとかしてよりよい人生を与えた
いと思い、1年間に何百万円もの療育費を払い、あちこちかけ
ずりまわる。どんなに頑張っても、頑張っても、克服出来ない
現実に初めて対峙し、あらんかぎりの努力すら叶わない事を知
る。こうして苦悩がはじまる。


「障害を克服して。。。」 という言葉を、マスコミではよく聞く。
克服出来るなら障害ではない。
ある自閉症児は言った。
「障害を克服するのは僕が死んだ時です」と。


さて、見なかった番組は友人によると
「障害をもっていても不幸ではない」 というテーマがあったらしい。

ヘレン=ケラ-も不便だが不幸ではないといっていたし。

なんだかよくわからないテーマだ。 いかにもマスコミ的だ。
幸福とか不幸とかは、主観の問題だか ら、決めつけるなというだろうが。
幸福も不幸もコインの表裏なので、幸福や不幸の状態が、
どっちかだけだと考える方が思考停止だと思う。

私自身は障害児を持ったのは運が悪かったと単純に思う。
出来 れば健常児の方が楽だったと思う。これは、男の子が欲しかっ
たのに、女の子だったというのと同じぐらいだ。好みの問題は
複雑なのだ。

幸福な障害児もいれば、不幸な健常児もいるから、
比較出来ないだろう。昔と違って、今の世の中は障害児だろう
が健常児だろうが、子育ては大変だ。



おそらく、障害児を不幸だと思いこみたい差別主義者が、
ごくわずかにいるのかもしれない。他でもない私自身もその差
別主義者かもしれない。


が、不幸を知る人間しか、幸福を知る事はない。