障害と殺人者 | 自閉症児のいる暮らし

障害と殺人者

別に精神障害者差別といわれてもかまいません。

はっきりいって、犯罪者に脳異常が多い現実が
あるのは確かなので、殺人者の中に脳に障害を
持つ者は沢山いるでしょう。

最近では、正常な人間でも、「責任能力が問え
ない」と無罪や刑減になることもよくある事で
すから。

ここに「人権」というごまかしがあります。


殺された人間は、もはや「物体」ですので、現
在生きている殺人者だけに「人権」があるので
す。


血の通わない、話す事もできなくなった死体は
人間ではないのでしょうか?だだの「物体」な
のでしょうか?


未成年の場合の、殺人者は、本名も国籍も公表
されず、「人権」とやらで守られ、被害者のプ
ライバシーばかり面白おかしくあばかれるので
す。


過去の新聞記事を読んで、新聞記事を引用しよ
うとして、腹ただしくなり、引用するのをやめ
ました。


 調べたのは「再犯」の犯罪者でした。


未成年の殺人者が、成人して、また、殺人をお
かす。あるいは、傷害、窃盗事件をおこす。


新聞のニュースだけでも、これだけ記事になっ
ているのですから、実際は記事にならない事件
の方が多いのではないかと思います。


日本人には「宗教観」がないといいますが、殺
された被害者が「物体」ではなく、たとえ死ん
でも「人間」であるという認識さえあれば、す
こしは扱いが違うのではないかと思います。


人間は、過去、現在、未来にわたって「全人格」
としての人間です。

殺された被害者は、「物体」と化すのではなく、
未来での人間であり続けるのです。


ある日、突然、肉体を纏って存在しているかの
ように見える「子供」であっても、過去から人
間であり続けていたのです。親のあまった肉を
つないで作ったヒトガタ、人形ではありません。


人間であっても、動物であっても、植物であっ
ても、「生命」としての尊厳は、皆、同じです。


動物を愛しいとおもい、可愛がり、花や樹を愛
でることが出来るのは、人間がそれを本能で知
っているからです。


ペットが誘拐されても、人間と同じように大騒
ぎして、気も狂わんばかりに心配するのは、人
間が「生命」の尊さを知っているからです。


その反面、人間は牛、豚、鶏などの家畜を殺し
て食べ、植物の実を奪って、食べています。
植物の種は植物の子孫です。

人間はそういう矛盾した、生命を殺さなければ、
生命が維持できない存在です。サファリの獲物
をねらう肉食動物と変わりありません。


だからこそ、「人間として」の認識が必要にな
り、教育や文化や歴史があるのでしょう。




生きていては、自分にとって、都合が悪いからと
か、殺すつもりはなかったけれど、刃物で刺した
ら死んでしまったとか、殴っていたら死んでしま
ったとか、ムカツイタから殺したとか。まるで、
すぐにでも、リセットできるゲームのようです。


  そして、司法もゲームです。

裁判では、殺人をたまたまおこしてしまったから、
リセットして人生をやり直すようにと判決がでま
す。

こういう人間達には、生まれてくる前の過去も、
死んでからの未来もないのでしょう。


現在を生きるのではなく、「機能」しているので
す。


自分達が真の人間でないことを本能的に知ってい
るので、「人権」「人権」と口にし、常に確認し
ていないと不安でたまらないのです。


本当の人間として対面するのが怖いのでしょう。


「精神障害」という理由でなく、「人間として」
の大切な何かが欠けているのです。それを認めた
くないので、すりかえているのでしょう。


皆、殺人がニュースで伝えられる度に、怒りに震
え憤り、悲しみ、悩むのです。例え、面識のない
被害者であっても、同情し、心を痛めるのです。


殺人は「精神障害」が、原因でなく、人間として、
欠けた何かが原因です。


たまたま、障害をもっていただけでしょう。
だから、無罪になる理由になどなりません。